「蒼穹のファフナー THE BEYOND 第十話〜第十二話」を、観ました
以下、「蒼穹のファフナー THE BEYOND 第十話〜第十二話」のネタバレを含みます。
観に来て良かった。
Twitterにも、そう書きました。
ファフナー、ネタバレはしないけど、一言だけ。
— Reino (@Reino0928) 2021年11月5日
観に来て良かった。
今は、2021/11/5の夜11時45分。
公開初日の最後の回を観て、電車の中でShangri-Laを聴きながら書き始めました。
いろいろと意味を持たせたくて、ネタバレしない範囲でなんとかつぶやけた感想が「観に来て良かった」でしたので、どういう感情を抱いていたのか、を書き残しておきたいと思います。
映画館
(ここは、感想だけを読みたい人は飛ばしてください。)
映画館に早く着きすぎたため、映画が30分前くらいまでは映画館近くを歩き回っていました(ピクミンブルーム)。
歩いている時は、ほとんどファフナーのことは考えていませんでしたが、強いて言えば、第九話で里奈と彗から情報が渡っているから、それは逆に利用するんだろうなあ、くらい(これはあたってた)。
そして、歩いて空かした腹を満たすために、オリジナルサンド(アボカドが入ったやつ)とスプライトを手に、劇場に入りました。
その1時間半後、「観に来て良かった」と、思いました。
終わり方
どんな物語を見るとしても、終わり方によって印象が変わります。
自分が今回の第十二話を見て思ったのは、「やりすぎない範囲で最大限のハッピーエンドで、良かった」というものでした。
つまり、「良かったー!みんな島に戻ってきて」でも、「この終わり方はちょっと……」でもなかった。
でも、こういう着地の仕方は明らかに目指してたものなんだろうな、と思ったし、自分もそれを求めていたような気がしました。
竜宮島に一騎たちは戻ってきたし、マルスの見た未来とは異なり美羽ちゃんの存在が残った。
でも、フェストゥムは敵か味方かわからない状態で空にいるし、新国連や人類軍とも手を結べた(そういえばバーンズ出てこなかったな)。
総士はまた第1話のような日常を送れているし、零央と美三香、里奈に彗、フェイの父親といった、危ない状態だった面々も生きることができる。
でも、操や千鶴さんは戻ってこないし、ショコラは翔子とカノンのもとへ行ってしまった。
この、喜びと悲しみが入り混じった感情は、TVシリーズの1期から見てきた人間にとっては、むしろよくこれだけの喜びを残してここまで来てくれた、という思いが強くて、だからこそすごく「良かった」と感じたんじゃないか、と思っています。
始まり方は少しぎこちなかった
このあともう少し具体的に良かったところを書いていく前に、少し気になってしまったところを先に書いておきます。
第十話の冒頭の、ブリーフィングルーム(?)の顔だけ移していく流れ。
あるいは、第十一話のOP前の、美羽ちゃんの一瞬の気絶シーン。
このあたりは、非常に尺の都合で長かったり短かったりしたんだろうな、という違和感を感じてました。
以上!
総士と美和
今回、「虚無の申し子」として敵を消してきた「総士」らしいというか、これまでのファフナーで「希望」だと感じていたものを否定してくれたのが、皆城総士でした。
皆城乙姫が島のミールとなって希望をつなぎ、EXODUSで弓子さんがバトンを繋いだことで、美羽ちゃんもそうなるのは決められた定めなのかな、ということはどこかで感じてしまっていました。
でも、総士が全力で(竜宮島での一騎との会話は、喜安さんほんとすごい、と思ってました)主張していた通り、「本当に彼女が消える必要があるのか?」という問いは、この長く続いてきたシリーズだからこそ、心に残りました。
これまで、多くの人が犠牲になって、思いを繋げてきたことが、ここで「終わった!」と思った瞬間でした。
そういう意味では、第十一話でファフナーが描いてきた「物語」は終わり、取り戻した「日常」や「生」について描いたのが第十二話なのかもしれないなあ、というのが今の気持ちです。
真矢と一騎
一騎、最後まで生き残れました。
ずっと、命の使い道を探していた一騎が最後まで残る。
それもファフナーのテーマに含まれるのかな、ということをぼんやり感じています。
そして真矢。
目が戻り、ファフナーからも降り、最後はまた普通の女の子っぽい姿が見られました。
真矢と一騎の関係は、最初のTVシリーズからほぼずっと、変わらないままでした。
一騎が帰る場所を、真矢が守る。
初めにファフナーに乗ったときもそうだし、EXODUSでもそうだった。
でも、その関係が終わり、また違った形に変えていけそうだな、というラストで良かったな、と思います。
真矢には明らかに恋愛的な気持ちがある描き方だったので、くっついちゃっても良かったんですけど、すべては一騎と甲洋が旅から戻ってから、なんでしょうね。
(なんで一騎が旅に出るのか、はまだよくわかってないです)
(今回の甲洋は、TVシリーズ初期の気のいい友達感が出ていて、ちゃんと生きてるなあ、と感じてとても良かったです)
島の記憶
普通はセルフオマージュ、とでも書くのでしょうが、ここはあえて「島の記憶」ということで。
ファフナーは、蒼穹作戦やL計画を何度も繰り返してるし、ゴーバインなども受け継いでるしと、過去の記憶を受け継ぐ、という意識が強いと思います。
今回も、蒼穹作戦前に神社でみんなの名前を呼んだり、アルヴィスから地上に上がってドアを開けてすぐに皆城姉妹と出会ったりと、過去作を思い出すところがたくさんありました。
(多分気づいてないのもいろいろある)
で、最後です。
本当の最後の最後、Shangri-Laの新録(早くCDで聞きたいけどいつ出るんだろう)が流れ始めたときは「あのイントロだ!」となりましたが、その曲の終わり。
総士のモノローグをバックにカメラがどんどん引いていき、全てが雲の後ろに隠れ、エンド。
これって、自分の記憶が正しければ、「蒼穹のファフナー」のOPの映像の、逆でした。
つまり、「蒼穹のファフナー」の始まりで雲から島へカメラが入っていくのとは逆に、BEYONDの第十三話の最後で島から雲へとカメラが引いていくことで、「物語の終わり」が演出されており、すごく感慨深かったです。
そして、(考えすぎかもしれないですが)視聴者の視点が雲の上から入っていたのが始まりで、雲の上に引いていくのが終わりということは、この物語が我々に語られるのは終わりだよ、という、完結の意味が強いのではないかな、とも思ったのでした。
ファフナーは、続けば続けるほど喜びと悲しみの両方が増えていく作品で、だからこそ愛されている面もあるのだと思います。
しかし、今回の美羽ちゃんのように「これからは喜びで満たしていく」ために「物語はもう描かない」のかもなあ、と考えています(これまた考えすぎかも)。
存在と無の地平線
最後の段落の前に一つだけ。
ファフナーは、多くの死を描きながらも、その中にある希望を見せてくれる作品でした。
それが今回完結したわけですが、その希望というものを自分にも分けてくれたな、と感じています。
それが、蒼穹のファフナーではずっと総士が伝えてきた、「存在と無の地平線」です。
人間にとって死は不可避で、今存在している以上は無に還る。
宗教的に解釈すれば当然話は変わるのですが、無信心な人間にとっては、ある意味ではそれが最大の「絶望」です。
しかし、二人の総士は、そこに希望を見せてくれました。
いつか「存在と無の地平線」を超えてしまうとしても、「今」は存在していること。
そして、超えてしまったあとも思いを受け継ぐことで、生かされていく。
言葉だけで書くと、全然希望っぽくないし、割とありきたりっぽくも見えてしまうのですが、そういうことに希望を持たせてくれる、という意味でもすごく自分の中で大きな作品でした。
一緒に観た人
最後に、一緒に観た人の話です。
といっても、今回人と観に行ったわけではなく、一人でぽつんと見ていました。
でも、映画館という場所で観たから。
上映後に人のすすり泣きが聞こえてくるわけです。
初めの方に書いたとおり、自分は「良かった」という感慨にはふけっていたのですが、泣いてはいませんでした。
まあ、途中途中で泣いてしまったシーンはあったのですが(終盤だと小楯一家や広登の写真を見たとき)。
で、上映後に泣いている人の声、さらに「良かった〜〜!!!(泣き声」みたいな(文字で表せているかわからないけど)声が聞こえてきたとき、本当に「観に来て良かった」と思ったわけです。
(これがツイートに、「良かった」や「観て良かった」ではなく「観に来て良かった」と書いた理由です)
多分泣いている人は、第十二話でみんなが日常を取り戻し、本当に戦い(あるいは物語)が終わったことを喜び、そしてもしかしたら過去の死者を想い、ぐちゃぐちゃになってしまったのでしょう。
(こんなことを書いてたら自分も今涙が出てきました)
そんな風にファフナーの「みんな」が好きでいた人が同じ空間にいて、一緒に見ることができて、本当に良かったです。
たぶん、明日(正しくは今日。現在、11/6の1時半)の舞台挨拶上映を見に行く人は、より「好き」な人ばかりでしょう。
見に行きたかった!(すでに予定が入ってる為に、初日の夜に無理して観に行ったのでした)
以上
感想は以上です。
パンフレットを読んだり、人の感想を読んだりしたら、また色々書きたくなるかもしれませんが、今感じているかんそうをとりえあずぶわっと書いてみました。
BEYONDの第十二話まで見た人の感想を、たくさん読みたいな、と思ったので、自分でも書いてみました(今までそんな、感想を追う、みたいなことをしたことないけど)。
多分、否定的な感想は受け入れられないんだろうなとも思っているので、実際に探しに行くかはわかりません。
ただ、少なくとも未来の自分に、このときこの作品を見て良かったという感情に包まれていたんだよということは残せたので、良しとします。
今回の記事は以上です。
それでは。