死生観(あるいは死後について) ~高1
一つ前のブログで、「死」について語る、と書いてから、ずっと放置して、その後思いつきでこのブログに移りました。
ということで、一つ前のブログで書けなかったことについて書こう、と思ったのですが。
まだ死について語るなんて早いというか、分かってないということで。
自分の死生観について。
書いてみたいと思います。
今語れるのは、高1まで かな。
小学生の頃は、死というものについてほとんど考えたことがなかった。祖父母はどちらも健在で、親戚の葬式というものも殆ど無かった。
というわけで、推理小説(ホームズやらクリスティやら)を読んでも 、謎にしか興味がなかった。夢水清志郎とかパスワードシリーズの延長で読んでいた覚えがある。
で、唯一その時死ぬのが怖い、と思ったのは、これ。
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この本に出てくる、てるてる坊主の話です。というか漫画か。
ある程度どんな話かを書くと、てるてる坊主を作って飾ったけど、雨が降ってきたから八つ当たりにてるてる坊主の首をちぎってゴミ箱に捨てたら、首を絞められ頭を白い布で覆われ、ブチッとちぎられる話。
以下のリンクで詳しい話はわかります。
これを読むまでは割りと怖い話をよく読む、まあよくある小学生だったんですけど、これを読んでからは全く怖い本を読まなくなりました。でもそれは、これ以上怖い話を読みたくないというのが理由なので、怖がりになったというのとはちょっと違うかな。
確か、これがきっかけで「そして5人がいなくなる」に手を出して、読書にはまっていったような気もするんですが、思い出せないので割愛。
とにかく、この話を読み、死に対する感覚が歪んだのは確かだと思います。
死とは悲しむものではなく、怖がらなければならない。
みたいな。
この考えが、ミステリーやらSFやらを読み始めた理由の一つになるかもしれません。
ミステリーでは、基本的に殺される人がしの恐怖を味わう場面、というのはなく、むしろ謎を解いて死者の怨念を晴らす意味合いがある、みたいな。
SFでは、こんなすごい科学や宇宙人やらがいるなら、天国もあるかな、みたいな。
まあ今となっては想像ですけど。
そしてこの死に関する考えが、中学生の時に悪化します。
きっかけは、あれです。
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エヴァです。
そもそも、エヴァを見ようと思ったきっかけが、そういう死に関する考えからなので、そこから説明します。
たしか、テレビで残酷な天使のテーゼが流れたのを見て、エヴァってなんだろうな、とその当時持っていたノートPC(2chもニコニコも見てなかったし何に使ってたのか)で、 調べたら。エヴァの解説サイトが出てきました。
Wikipediaなんかは、まあ内容にはあまり触れてないものですし、そういうサイトを見て調べてみよう、と思って、そのページを隅々まで読みました。
そうすると、いろいろと心理学用語が出てきて(厨二的に)面白かったんですけど、それよりも。
リビドーとデストルドーの話がとても気になったわけです。
エヴァは生きる力と死のうとする力の話だ、みたいなのを見て、ああこれは見るしか無いな、と思ったわけです。
当時はアニメといえば(中学一年の頃の自分はまだ)ドラえもんやらポケモンで、ハルヒとからき☆すたを見たのはエヴァの後です。それは友人がきっかけだったので、 今となってみればアニメにハマる前にエヴァを見てた、というのは不思議な気がします。
そして、それをもうDVDで買いたい(今でもそうですが、レンタルは全く利用しない)と思い親に相談したりしたら、おじさんが持っていることが発覚し、しかもそれを全部くれると。そういうことになりました。今考えるとかなり太っ腹です。
こうしてやっと、エヴァを見る運びとなりました。
で、エヴァを旧劇場版まで見終わった時。
自分の中で思ったことは一つ。
「なんでシンジは、人類補完計画を終わらせっちゃったの?」
と。
人類補完計画については、まあ見ててもよくわかりませんでした。
解説サイトを見たといっても、とてもではないけれど見てもない作品の解説なんてほとんど覚えていられません。
でもその中で、一つ自分がこういうものではないかと考えたのは、
「人類を補完し、完全な生物(的な何か)に進化させる計画」
ということ。
つまり、不死が目的(と自分は解釈)だったと。すべての人類が一つになるという理想は副産物だったんじゃないかと思っているんですが、それはともかく。
となると、もうその時点でかなり死を恐れていた身としては、シンジがあんなことをしたせいで死ぬしか無いじゃないか!みたいな。
中学生ですから、そういう自分勝手なことを考えていたわけです。
劇場版のラストでシンジがアスカとともにいるのは、つまりアスカと一緒に生きていきたいという思いのほうが、他人と生きていく辛さを上回ったってことでしょうけど、そんな存在がいないこちらからすれば、その気持もわからないですし。
とにかく、人類が死ななくてすまなくなるエンドが良かった、と思ったわけです。
TV版の25,6話がかなり意味不明、というのはまあ有名ですが、 劇場版を見たあとに見ると、人類補完計画が成功しているという点で少し好きになったりしました。
そうしていろいろと憤慨したりして、やがて人類補完計画に対する諦めがつくと、だんだんと宗教的な考えに移っていきます。
自分だけの宗教みたいなものが始まるわけです。
最初は、確かエヴァに出てきた「ガフの部屋」から、死んだら魂はまた別の人間(あるいは生き物)として生き返るから、まあいいじゃないかという自分に対する説得でした。
輪廻転生に近い考えかな、と今なら思うんですが、当時はとにかく死の恐怖を打ち消すのに必死でした。
エヴァを見る前からか見たあとかは忘れましたが、とにかくその頃から、死ぬのが怖すぎて恐怖のどん底に落ち込む、いわゆる鬱のようなことがたまに起こるようになっていたからです。
基本それは場所は関係なく、一人でぼーっとしているときなどに起こりました。それが一度起こると、死の恐怖、無に帰する、ということについて延々と考えてしまって、しばらくはもう何も出来ません。
どのくらいの時間続くかは今でもよくわからないですが、何時間も悩んでることはないということは確かです。
とにかく、その鬱のような症状を無くそうといろいろ考えるわけですが、とにかくダメでした。
自分が死ぬのが嫌なのは、とにかく自分の意思と記憶が消えてしまうのが怖い、というのが重要で、つまりさっきの「魂はまたよみがえる」というのは、意思も記憶も残らない、という点で全くダメで、次のもっと自分に理想と思えるものを考える、というのを繰り返していました。
そうしている間にも、 キノやら、ハルヒやら、らき☆すたやらを読み始め、見始め、それらで楽しんだりもしていました。
一回くらいは、ハルヒの能力があったら無意識に誰も死ななくなってそうだな、と思ったことがあったと思います。
ここでちょっと関係ない話を挟むと、中学かそこらの頃に性善説と性悪説について知って以降、基本的に性善説しか信じられなかったりします。その理由とかは曖昧にしか自分でもわかってないので省きますが、とにかくそのせいで、「自分だけ死なない」というのは自分の中ではタブーになっています。少なくとも一人だけで永遠に生きるのは辛い、というのと同じくらいに。みんな生きるべきだと。
というわけで、だんだんとご都合主義に設定が自分好みのものになっていって、 その後、自然消滅しました。
やっぱり何かに熱中してると何も考えないんだなあ、ということで、中3の頃にはニコニコ動画やらアニメを見て、安定してきていました。たまにさっき書いた鬱みたいなことはたまにありましたが、そんなに頻度もなくなりました。
そして高1の時、ご都合宗教が復活、 と。
高1になるころに最初に考えたのは、自分が死んだとしても、せめて何か残せればいいんじゃないか、という考えです。
自分用のPCを買ってもらって、しかもそれまでは居間でノートPCをいじっていたのが、自分の部屋でできるようになり。
それなら、小説を書こう、と。
そこで、いろいろと学校でアイデアを書きためていくわけですが、しかし家では小説が書けない。
一つ、設定もプロットも書いたから、とりあえず書いてみよう、となっても書けない。
いや、違うな。
正確に書くと、書いても納得できなくてだめ、というのを繰り返していた。その結果、序章~一章まで書いたけど、 結局諦めてしまった。そんな感じでした。
そういう自分に幻滅している日が続くと、ふと。
ああ人間はいつか死ぬのに、こんなに何もできないでいると、そのまま何もなさないまま唐突に死んでしまうのではないか、と考えました。
つまり、久しぶりに死について考えてしまったわけです。
それまではアニメやら小説やらでごまかされていたものが、自分から何か表現しようと考えた結果、自分に限界を感じ、シをまた意識してしまった、と。
そうして、また鬱のようなことが起きるようになりました。確か、ちょうどTwitterを始めた頃くらいで、そういうことを呟いたりもしていた気はします。
こうした流れの結果、再びご都合宗教が復活したわけです。
なんで既存の宗教を信じたりしなかったのか、というのは単に、完全に自分に都合のいい死生観じゃないといけないからです。
いろいろ他の宗教と似たような死後の考えもありましたが、とにかく自分に都合のいい、というのはつまり、さっき書いた「みんな生きるべき」というのが重要で。
それを信じている人も信じていない人もみんな死後は同じ、というものでなければ無かったわけです。というか、確か最終的には全生物が同じ死後だったはずです。
で、そのご都合宗教というのはいろいろと時のよって変わったりするんで、その根本の、これだけは絶対要素として含んでいる、というのを列挙しましょう。
・魂(あるいはそのようなもの)はある。
・死んでも記憶と意思は残る。
・死後はみんな同じ(信じてる信じてないは関係ない)。
・どのような死に方かなども関係ない。生前も関係ない。
こんなに都合がいいものを信じてたらすぐ死ぬんじゃないか、 と思われそうですが、そんなことはないです。大体、心の底からこんなモノ信じられるわけがありません。
でも、突然事故にあったりして死んでしまいそうになっても、最期はこういうものを信じて安らかに、とか。あるいは鬱っぽいことになっても、いや死んでもこうだし、大丈夫大丈夫頑張って生きろ、と自分を励ます材料になったらいいなあ、とか。
そんなことを考えて、あの頃は、自分で自分の宗教を作っていました。
以上が、高1までの間の死生観ですね。
もっと詳しく書いたほうがいいかな、というところもありますが、まあ自分の中でのメモみたいな意味合いも強いので、今のところはこんな感じでいいかな。
多分実際とは違うところもありますが、まあほとんど自分の頭の中のことなので、覚え違いはしょうがないです。
やっとこさ書き終えたので、今日はもう寝ます。
明日は出かけるからさすがに寝ないといけないですしね。
それでは。
余談 :
最後に少しだけ書いておくと、高1のまた死を恐れるようになった頃、一冊の小説が発売されました。
あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)
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長谷敏司「あなたのための物語」です。
当時は、十文字青「純潔ブルースプリング」 が同じ時期に発売され、後者を優先したので読まなかったのですが、昨年文庫化されて読みました。
死を前にした科学者と人工知能の話である、というのが当時の心境からものすごく気になっていたので、読めてよかったな、 と思ったのですが、もし当時、かなり死についての恐れが酷かった時期に読んだら、自分はどう思ったのかな、とふと思いました。
それだけです。