れいの記録

日記ではない

心と心を紡ぐために 命の意味を探すために

 伝えたいことがあって文章を書いているというよりも、何かしら表現したいというか、何か吐き出せればそれでいい的な感覚で文章を書いているから、あとから読み返すとなんか話が飛んでるな、とかそういうことを思って、書きなおしてしまう。

 その結果、一日に1,2時間ずつ小説を書くとして、ある程度書いた次の日にさて続きを書こう、と思った時に少し前の文章を見直すと、書き直したくなる。それだけでなく、書いている最中でも1,2分前に書いた文章に直すところがないか、というのを探している。

 こういうペースで文章を書いていると全然進まないので、期限の決まったレポートやらブログやらはなるべく勢いのまま一気に書くようにしているけど、それだと後から見なおした時に違和感が残っていたりする。

 

 普通、そういう部分は校正の段階で直していく、ということを常識として知ってはいるつもりだけれど、知ってはいてもできなことはある、という感じでしょう。たぶん。よくわからんけど。

 

 で、ここで一旦時間を置いたので既に前の文章を直したくなってるけど、今回は我慢して続きを書く。

 

 唯一文章を直そうという衝動にとらわれないのは、日記を書いている時である、というか、そのために日記を書き始めた。

 特に人の目を意識するものではないのだから、駄文でも散文でもいいや、ということで書き続けることにして、寝落ちしていない日はだいたい書いている。

 何を書くか、というのはその時の気分に任せているから、長かったり短かったりする。しかし、書けるときはまあまあの量を書けるし、時雨沢恵一学園キノのあとがきで言っていたものを実践している感じ。

 

 この文章を書いているペースで小説をかけたらなあとは思うけど、それはかなり想像力が鍛えられていないと無理だろう。(一人称と仮定してだが)主人公の周りの環境とそれに対してどう思っているかを想像し、周りの反応も自分で考え、書き連ねて行かなければならないのだから……とか思ったけど、別にそう書く必要もないので、これについては保留。

 

 関係ないけど、想像力を鍛えるっていうのは一体どういうことなんだ、と思う。いわゆる妄想力では自分に都合のいい物しか考えられないから、もっと広い範囲で考えるということで想像力が必要なんだろうけど、小説を書くための想像力は小説を書かなきゃ身につかないのではないか。

 とすると、

 小説を書こうとする→想像力が足りずに構成がおかしくなる→直す→続きを書く

 というサイクルを繰り返せこのやろう、ということなのだろうか。想像力を鍛えるということは。

 

 …………。

 

 こんな文章書いてないで、真面目に取り組んでいきたいと思いまーーす。

 せめてもっと内容のあるブログとか小説とかそういうのに。

 

 それでは。

 

 

 追記:

 読ませる文章だとか文体だとかを考え始めるとキリがないので、初めは模倣とかそういう感じでやっていくのでいいんじゃないかな、と思っている気がする。

 あと、結論もないのに文章が終わったのは、別に何か人に伝えたかったのではなく、今考えていることを文章にしたらまとまるかな、と思って書いてたらまとまらなかったから、かな。そういうことにしておこう。