I can do it! Real-Action
おそれずにーまーえみてすすーめー
「I can do it.」という文言を見ただけで、突然仮面ライダー電王のキャラソン「Real-Action」が脳内を流れ、こんなにいい歌詞だったんだなあと今更ながら衝撃を受けたマンです。
特撮関連のCDは電王の3枚しか買ったことがないのですが、その内の一枚。 残りの2枚は初期の映画のやつ。
ひっじょーに懐かしい。
で、本題。
ブログに書くネタが溜まった(でも書かない) - トライ Again-
で書くと予告した「もう外国には行きたくない話」は、あまりにもつまらない話なのでやめて、残りの二つだけにします。つまらない話ならまだしも、超つまらない話をしてもしょうがないので。
そして今回は「論理的思考なんてしたことない気がする」について。
オリエント急行殺人事件のネタバレを交えつつ。
論理的思考をしたことがない、というか、人間がちゃんとした論理的思考ができるというのは幻想なのではないか、という認識。それはどういうことかといえば、例えばわかりやすい論理的思考が必要なわかりやすい例として、ミステリのトリックについて考えるとする。その時、小説中の描写からヒントを探って解こうとするだろう。
ここでオリエント急行殺人事件を例に出すと、あれは乗客のほぼ全員が共謀して事件を起こした、という話だけれど、これを論理的に解こうとした場合、証拠を色々と突き詰めて考え「これは容疑者全員が参加してると辻褄が合うな」という結論に達すればいい。しかしそこで後期クイーン問題が邪魔をしてきます。これは何かと簡潔に書けば、超すごい暗殺者がすべての事件を起こしていて、彼らに罪を負わせたという可能性を否定出来ないということです。
論理的思考をしていると、どちらの可能性も否定できず、結論を出すことができないのではないか、というのが「人間はちゃんとした論理的思考ができない」という意味です。どちらも論理的に矛盾はしないのだから、「常識的に考えてそれはないだろう」という、人の感覚に頼ってしか結論は下せないのでは、ということです。 それは論理的、とはまた違う気がします。
論理とか高校の授業でさえまともに勉強したことがない(それは倫理や)人間ですので、この時点でいろいろと矛盾していることを言っているかもしれません。しかしここで言いたいのは、「 論理的思考なんてしたことない気がする」という自分の認識は、今書いたものや類似の理屈によって構成されている、ということです。
要は気持ちの問題ですね。
ですので、特に結論というものはないのですが、 こういうことを考えてから、人の意見なんて論理的にはどこか矛盾があるものなんだから、人に対しても自分に対してもおおらかに生きよう、という風にしてきました、という感じで。
締めにしたいと思います。
それでは。
(文体が安定しないから、せめて一記事ごとに統一したいなあ)